この記事は2月11日の思い出を、いまさら(2月21日〜23日)に書いたものになります。
2月11日(木)建国記念の日に、だいせんホワイトリゾートに滑りに行きました。天気は朝から良く、2日前の2月9日頃にスキー場に積雪があったことから、比較的良い雪だったと思います。私にとって少し固い雪に思いましたが充分楽しめる雪でした。
お友達と歩いて国際エリアまで
今季は運転しているリフトやコースが少ないので国際エリアへの移動は行き・帰りとも歩きになります。
コース整備もばっちりです
動画からのひとコマ。下手っぴな滑りなので写真でごまかしてます。
転倒
私はロッジで少し休憩をしたあと「最後に1本滑って帰ろう」と思い滑走しました。
まさかこの1本が、「この日」だけでなく私の今シーズンを終わらせてしまうとは思いもしていませんでした。
今季、最後に見たスキー場の空
ということで私の2020-2021シーズンは思いもしない形で突然終了してしまいました。
ここから先はグロテスクな表現が含まれています。
写真の位置情報が大きくズレていますが、K4号乗り場まであと数十メートル付近です。 どうして転倒したのかわかりません。グラトリしようとしたわけでなく。逆エッジで激しく叩きつけられたわけでもなく。人や木立に接近や接触もありません。少し雪が緩みはじめていたので、変な転び方をしたのだと思います。
滑走中に左脚首あたりに「ゴリッゴリッ」という2度の違和感がありました。そして滑走を続けることができなくなりました。最初はたぶん足首あたりが脱臼したと思っていました。結果から言うと骨折していました。
転倒してあまりの痛さに動けない
でもコース脇に避けないと私は踏まれてしまいます。INTECタイプのビンディングなので無理な姿勢をしなくてもワイヤーを引けば板とブーツが外れます。まず板を流さないよう怪我をした左側だけ外します。それでも左脚に履いているブーツが怪我を締めつけとても痛いです。とにかく左のブーツを脱ごう。激痛に耐えながらどうにか左のブーツを脱ぎました。そして右脚だけ板をつけたままウェアで滑り下りながらコース脇に避けました。
私が動けなくなったのを見かけたスキーヤー(だったと思います)が声をかけてくれました。その人は私の20m〜30m谷側にいたと思います。私は手振りで大きくバツをし、首を大きくゆっくり振り動けないこと、そして「パトさんを呼んで!」と声で伝えました。
その次はリフトの人が歩いて私の様子を見に来てくれました。毎年会ってる人なので私のことを覚えてくれてます。詳しい会話は覚えてないのですが「待ってて。いまパトロールが向かってくるから。」と言ってくれたような気がします。
どれくらいの時間待っただろうか。5分から10分くらいだったと思います。動かずにじっとしていれば強い痛みはありません。
ようやくパトロールさんが助けに来てくれました。左脚はソックスを履いたままなのですが、脚の形がズレているのが自分でもわかりました。
「転倒したらコース脇に避ける。」「板は絶対に流しさない。」と知っていました。もうひとつ正解だったことがありました。私は激痛に耐えながら早いうちにブーツを脱いでいました。パトロールさん曰く、骨折した状態でブーツを履き続けていると、足が腫れて脱げなくなるそうです。
転倒したコース脇にて、ダンボールで左脚首を仮固定をしてもらい、私はボートに載せられました。コースの途中でしたので、下りはゆっくりパトロールさんが山側からボートをひっぱり。下りきったところからスノーモービルに引っぱられ、雪の上を揺られながら駐車場まで運ばれました。振動が怪我した脚に響きますが我慢してました。
スノーモービルで運ばれているとき、負傷者を運ぶボートには足元から顔までシートがかけられます。これは初めて知ったのですが、スノーモービルが走行するとき雪を巻き上げ、その雪が身体にかかるのを防ぐためにシートをかけるそうです。私はこれまで何度もシートで覆われたボートを見てきたのですが、そういう理由があったとは知りませんでした。私はてっきり、野次馬からのプライバシー保護に思っていました。
しかし私はどの辺りを運ばれているのか知りたいし、スキー場の空を見たくて顔の辺りのシートを開けていました。当然、スノーモービルが移動をはじめると雪がかかりました。この行動は怪我の痛みがありながらも余裕があったのだと思います(笑)
駐車場横には、もう救急車が到着していました。スキー場パトロールさんの対応に感謝です。私はスキー場パトロールから救急隊に引き継がれ、初めて救急車に乗りました。意外と広い空間。そして、救急隊の方がいくつかの病院に電話して受け入れを聞いてくれていました。槇原のあたりは携帯電話が繋がりにくく、しばらく走行してから電話をかけ直されていたり。大山から米子市内に下りるまでには受け入れ先の病院が決まりました。 救急車の中での処置はとくにありませんでした。簡単な問診と血圧と血中酸素の測定を受けた記憶があります。
そして病院に到着
記憶が曖昧なのですが。いくつか問診の後、新型コロナウイルス感染症のPCR検査を受けました。痛み止めの点滴も打ってもらいました。 新型コロナウイルス感染症が陰性と判断されてからX線撮影とCT撮影を受けました。スキー場から直送でしたので、このころまだウェアを着用していました。
真っ先に見せられたのがX線写真。CTの立体写真は後日、主治医の説明とともに見せられました。X線撮影の写真から、固定だけの治療ではなく、手術が最善という判断になりました。私の脚にプレートが入るようです。
しかし休日ということ、明日は他の患者さんの手術の予定があることから、私の手術は2月15(月)になりました。それまでは病室で待機です。
医師や看護師さんからの質問「治療を受けるにあたり何か希望はありますか?」私はこう答えました。「また来シーズン滑りたいです。」日を改めて何度か同じような質問をされましたが、私の返事はブレませんでした。 医師や看護師さんから「懲りないね」などと言われました。でも「骨折したからスノーボードやめる。」私にはその考えはまったくありません。怪我をしてもスノーボードを続けたい原動力は自分でもわかりません。単純に「楽しいから」と思います。
ある程度の推敲をしたのですが、今回は怪我に関しての記事になってしまいました。
今季の残り日数が限られてきましたが、皆さんはお怪我のないようスキー・スノーボード等を楽しんでください。